民主党の農業政策を考える

民主党の農業政策を考える

 自民党惨敗に終わった7月の参院選。「地方の反乱」と呼ばれ、結果的に地方の格差や農業政策が大きな争点になった。惨敗の大きな要因には、これまでの自民党の地盤であった農山村部中心の一人区での敗北がある。29の一人区で6勝23敗と大きく負け越した。背景には、市町村合併による公共サービスの低下や地方格差の問題、そして解決の展望が見えない農山村の高齢化や過疎の問題が放置されたまま、「小規模農家切り捨て」とも呼ばれる政府・与党の農業政策がスタートし、地方の農家の危機感が募った点が大きかったと言われている。

 対して民主党は、全販売農家への「戸別所得補償」を公約に掲げ、「地方の反乱」の受け皿となり劇的な勝利を得た。10月中旬にも補償制度創設の法案を今国会に提出するということだ。一般メディアでは賞賛気味にも取り上げられているこの農業政策。その骨子は、最後の農村出身の農水官僚世代とも言われる、篠原孝氏らが中心になって作成したと言われている。篠原氏は、官僚出身ながら『農的循環社会への道』(創森社)などの著作があり、地産地消の論客として市民/農民運動とも付き合いが深い。氏は自らのブログで参院選を「農政選挙の勝利」と総括し、地域社会の維持に予算配分を、と訴えている(日本農業新聞8月4日)

 『安全食品事業協同組合ニュース』No.51に掲載されたコメントでも、「何百年続いた村が消えていくのは政治の貧困以外の何者でもない」と題し、民主党の農業政策が自身の声によって紹介されている。しかし、篠原氏も認めるように、民主党農政は根本的な矛盾を抱えている。それは所得補償を掲げる一方で農産物の輸入自由化を暗黙の前提として推進していることだ。事実、民主党が選挙中に配布したビラには、「米がたとえ一俵五千円となったとしても中国からどんなに安い野菜や果物が入ってきても」というように全面自由化で影響を受けた生産者に、価格が下がった分だけ補償金を支払うという、自由化への見返りとしての補償という側面も一方で垣間みられる。

 農水省は、今年2月に農産物輸入を完全に自由化した場合、日本の農業にどういう影響があるか試算した。結果判明したのは、カロリーベース自給率が、40%から12%に下がり、穀物自給率に至っては、同じく29%の十分の一以下、2.7%に低下するという衝撃の事実であった。2パーセント台の自給率は、北欧、砂漠国や島嶼国なみだと言う。毎日新聞9月28日版で民主党の農林漁業再生部長が国際的なルールも鑑みた上で、所得補償政策の大枠の予算配分について言及している。その内容は、食料自給率を上げるために主要農産物の主力産品について所得補償するという方策だ。モデルは恐らくヨーロッパの共通農業政策だろうが、補償戦略についての一応の整理がなされており、興味深いものだ。しかし、いくつもの疑問がある。まず原案が民主党HPに掲載されていない。これでは評価の仕様がない。また主要農産物(米、小麦、大豆、菜種、ばれいしょ等)へは補償するが、基本的に野菜が入っておらず、構造的には与党の政策と変わりがない。
 一人の農家(見習いだが)として私も様々な違和感を覚えてきた。それをうまく言葉にしてくれたのが、上記(毎日の)記事に同じく掲載されている農民作家でアジア農民交流センター代表の山下惣一だ。山下氏は「民主党の所得補償制度も錯覚と誤解が先行している」「こわいのは農家でありさえすれば国からカネがもらえると国民に誤解される」「農家の側にもその錯覚があるが、そんな甘い話ではないのだ」としている。

 民主党は、今回の法案化に当たっては「原則すべての販売農業者を対象に、生産費までは所得補償する等基本的な考え方は盛り込む一方、予算規模や具体的な補償単価、生産目標数量の水準等は記述しない方針」に転換した。「細部まで書くと、揚げ足を取られる、期待感だけあおっている」という与党からの批判も行われている。しかし恐らくそれ以上に根本的に問題なのは、「所得補償」という思想そのものではないだろうか。自給率を上げるために、主要産品への補償は確かに必要だ。しかし補償を国家から与えられる、という構造の中で農山村に果たして自立的な動きが生まれるのであろうか?
 恐らく一定規模以上の生産農家への「所得補償」は、行われるであろう。しかし、もし農産物の一層の自由化を行い、農産物の基本的な価格が下落した場合、農家がはたして尊厳を持って農産物を作ることができるのであろうか?直接に所得補償を行えば、戦後の日本の社会で言われてきたように、「農民にカネを与えて何の意味があるのか」と言うような「いいがかり」が必ず起こる。そんな肩身の狭い思いをしてカネをもらうよりは、農産物にまっとうな値段がつく構造を作り、農家が作物を愛し育てる関係の構築の方が重要だと思うのだ。
 また、日本の農家への補助金制度は、そもそも集落単位への助成を基本として行われてきた。個人への直接補償は、今回が初めてになる。日本のムラは集落単位で維持されてきたので当然と言えば当然なのだが、この辺りにも疑問点が残る。というのは、民主党が政策対象とする「生産販売農家」がいないような、自給を基本として田畑を守る集落も、日本には未だに多く残っているからだ。現在の農政では重要な位置づけが与えられていないが、そうした集落では、兼業農家が田畑の維持・管理を行ってきた。こうした現状についての具体的な認識は、民主党の政策からは全く読み取れない。
 これまで政府・与党の農政しかなかった日本で、農業が政治の舞台に再登場し、具体的に議論が始まった事は重要だ。しかし、それは始まりであって、民主党の農業政策に地方が共鳴を持ったというよりは、たとえ淡い期待でも抱かざるを得ないほど、追いつめられているというのが現状と言えないだろうか?ともかくも未来へ向かって農政が動き始めたのは確かだ。農山村で生きる人々一人一人が主役になれるような政策に少しでも近づいていくため、現場で実践する人々のつながりを広げていく必要があると思われる。
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# by kurodaira | 2007-10-26 11:47

「脱」格差/「ポスト」グローバル社会への道すじ

AMネットニュースレター寄稿文

「脱」格差/「ポスト」グローバル社会への道すじ
 
  「広がる日本の格差」
 シャワーや個室を完備する低料金ネットカフェで生活する若者が増えている。
その多くが、生活が困窮し、家を失った若年フリーターと言う。「不安定な生活
を抜け出したい」というSOSが支援団体に寄せられることもこの数年多くなっ
ている。
 働いても最低限度の生活を維持できない貧困層「ワーキングプア」。その存在
がメディアでクローズアップされる前から、問題を指摘してきたのがNPO法人
「もやい(東京都)」だ。野宿者、母子家庭、若年フリーターなど1000世帯の生
活保護申請に立ち会い、最近はマスコミにも登場し、セーフティーネットの必要
性を強く訴えている。
 このもやいも中心となって、昨年10月、「瀕死のセーフティネットを救え!生
活保護費削減に反対し、ナショナルミニマムの確立を求める集会(※1)」が、
衆議院会館にて行われた。集会への賛同は、団体40、個人500名に上り、国会議
員5名、秘書8名、マスコミ15社、参加者120名が集まり熱い議論が繰り広げられ
た。賛同人の所属団体で特徴的だったのは、障害者、野宿者、移住労働者の当事
者や支援者が多く名を連ねたことだ。この事は、小泉政権下に展開された構造改
革等を基本とした「新自由主義政策」(※2)ム市場原理の一層の追求、生活保
護費・福祉サービスの削減、自立政策という名の新たな競争政策ムが底辺の人々
の生活に大きな影響を及ぼしていることを意味していると言える。ともするとこ
れまでは別々に活動してきたそれぞれの当事者が横につながり始めた意義は大きい。

  「農村は都市なしで生きていける」
 一方日本の農山村部では、工業製品輸出の見返りとして農林水産物の輸入自由
化が行われヒトの流出が続いて来た。20世紀後半に起こった「高齢化」という事
態を越えて、現在は「廃村化」が現実化している。この状況は実は都市部で起
こっている事態より根が深い。なぜなら「農村は都市なしで生きていける」が
「都市は農村なしでは生きていけない」(※3)からだ。
 何百年続いてきた村がなくなる事は、その土地/風土の中で生きる知恵の蓄積
が喪失する事を意味する。民俗学者ですら正面から向き合えていないこの状況に
挑んだのが、新聞記者の藤井満さんだ。(※4)藤井さんは、四国の奥深い山々
を歩いて住民の声を丹念に聞き回られた。レポートの中でかつては四国の三大発
酵茶として名を馳せた石槌山茶の産地、元石槌村の住人は言う「千人で支えた村
を数人で支える重圧は都会の人にはわからんでしょう。いつも言うんよ。中天に
のぼった太陽を見ても、動きを感じる人はあまりおらんけんど、山の端にかかっ
たときの太陽は、非常な早さで落ちていくんじゃ。人間でも若いあいだは、歳を
とったり死んだりすることを考える人は一人もおらんが、私らの歳になったら来
年のこともわからんのやけんね。」

 さきほどの「都市は農村なしでは生きていけない」という言葉を「先進国は途
上国なしでは生きていけない」と置き換えると「日本の問題」が浮かび上がって
くるかもしれない。食料、鉱物資源他あらゆる資源を海外に依存する日本、が途
上国の台頭によりこれまで通り輸入できなくなってきているのだ。農産物一つ
取ってみても、日本の食料輸入先において中国のバイヤーが食料調達の強力な競
争相手として登場するようになった。例えば、自給率が著しく低い大豆(5%)
の輸入元ブラジルでは、中国のバイヤーが日本より高値で買い付けるようになっ
ている。(※5)WTO加盟以前はほとんどなかった中国の大豆の輸入は、わずか10
年で世界の大豆輸入の2割を超えるようになった(日本は1割弱)。ここ数年日
本国内で豆腐の値段が上がっている一因でもある。

  「世界の格差に影響を与える日本」
 あまり知られていないが、90年代より日本は世界一の食料純輸入国(輸入から
輸出を引いた総額。輸入が圧倒的に多いという意味)としてその名を知られるよ
うになった。世界人口割合の2%を占める日本の食料輸入額は、世界の総輸入額
のなんと10%に昇り、ここ数十年世界の食料を買い漁ってきた。こうした食料の
買い占めは、例えば国連で定められているLIFDCs(低所得食料不足国)、つまりお
金はないが食料を輸入せざるを得ない国(島嶼国が多い)にとっては、国民の命
を左右する問題と言える。特にWTO体制以後は、途上国も食料輸入が義務化さ
れ、これまで以上に輸入に依存する傾向がある中で、日本の消費は世界の貧困国
にとってとても頭の痛い存在なのだ。世界の資源を買い漁る現在の中国の姿は、
これまでの日本の姿そのものとも言える。

  「共に未来を構想するために」
 昨年タイのFTAウオッチに関わるキンコンさんが来日した。中国とFTAを結んだ
(2003年)結果、チェンマイにニンニク・タマネギが流入している現状を分析し
ている方だ。キンコンさんの話を受けて日本からはこう応答された。「タイの状
況はかつての日本と酷似している。日本においても、70年代にニンニク・タマネ
ギが自由化され青森を中心とした産地は大打撃を受けてきた。青森は日本におい
ても最も貧しい県の一つであった。そうした人々が出稼ぎに出ないために考えた
作物がニンニクだった。そのニンニク生産が自由化後、わずか数年の間に生産量
が激減してしまった。日本の農山村というのはグローバル化のなれの果ての姿と
も言えるのです。」

 国家的に資本主義を追求する中国に対して、豊かさを享受してきた日本は何も
言えないという議論もあるが、大きく間違っていると感じるようになったのは、
こうした具体的なつながりを持つようになってからだ。なぜなら共有され議論す
べき異なる(近代の)経験がある、という事を生活レベルで実感しつつあるか
ら。市民/NGO社会がネオリベ化し、現場レベルでつながる事が難しくなる一
方、つながりを必要とする人々のネットワークは時に国境を越え、ますます広が
りを見せるようになっている。脱格差の「脱」やポストグローバル化の「ポス
ト」が、具体的なネットワークが端緒/基礎となり(希望的な社会/未来が)生
まれていくことを切に願うこのごろなのである。



(※1)政府が財政難を口実にナショナルミニマム(健康で文化的な生活を営むた
めに国が保障すべき最低の水準)を一方的に切り下げることは、社会のセーフ
ティネットを根幹から傷つけていくことに他ならない、このような方針に反対
し、「安心して生きていける保障」を求め、集会は呼びかけられた。
(※2)神野直彦ら編「脱格差社会への戦略」岩波書店、2006年ジョン・カバナ
編「ポストグローバル社会の可能性」緑風出版、2006年。等が全般的には参考に
なるか。
(※3)ジャン=ベルナール・シャリエ著「都市と農村」クセジュ文庫、1966
年。「農村との共存」視点なき都市優位社会に対して鋭い警告を行った。先進国
は途上国の資源に基本的に依存せず生きた方がよいというのは当然のことだ。
(※4)藤井満「消える村、生き残る村」アットワークス、2006年。
(※5)最近、途上国への中国政府の援助や金融資本による貸付が拡大し、国際
機関から環境面、人権・社会面で問題が指摘されるようになっている。
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# by kurodaira | 2007-01-09 18:57

貧しさの歳時記 〜世界の飢えと日本の食卓〜


月刊「むすぶ」7月号 に寄稿 ロシナンテ社発行の地域の市民活動を伝える貴重な雑誌ですご購入の方どうぞ宜しくお願いします!!
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貧しさの歳時記 〜世界の飢えと日本の食卓〜
              松平尚也(アジア農民交流センター AFEC)

  日本の農村はどこにあるの?
 グローバル化が進む中で、外国からの農産物の流入、他国への出稼ぎ等、アジ
アの村で今までは考えられなかった変化が起こっている。ここはひとつ連携して
立ち向かうしかない、とアジア農民交流センターが設立されて15年が経つ。
AFECでは、アジアから多くの農民を受け入れてきたのだが、一度東北の農民
がタイの農民を案内している途中、不思議そうにこう言ったという。「で、いつ
になったら私を農村に連れて行ってくれるんだい?」

  経済的貧乏を生み出すシステム
 この50年、日本は列島中を開発し、隅々までコンクリートで道を固めてし
まった。70年代生まれの私でももはや風景として慣れ親しんでいるが、その標
準は実は世界のスタンダードではない。日本の道路は、世界で最も高級なコンク
リート材が使用されてきたのである。タイの農民が豪華な道路が農村に通ってい
るのを信じられなかったのも当たり前だったのだ。
 田舎に暮らし農業を始めて一年が経つ。なるべくお金がかからない生活を目指
して移住したが、都市部では考えられなかった支出が目立つ。税金なみの自治会
関係費。田舎といえどもここは日本なのだ、と実感させられる水道光熱費。下水
道がない分、余計にかかる浄化槽代。ガソリン代の値上がりも影響大。電話代合
わせて年収の四割は消える。
 何が言いたいかと言うと、土木国家の道を戦後目指してきた結果、日本中どこ
まで言っても生活にお金がかかるシステムになっているということなのだ。その
システムのほとんどは、海外からの資源に頼っており、環境への負荷も大きい。
また中国の経済成長等を背景に資源の奪い合いが起きる中で、石油や鉄鋼、木材
の国際価格が急騰しており、破たん寸前の日本の財政では近い将来道の補修も出
来なくなる可能性もある。高価なシステムは維持費も高いのだ。ツケを払わされ
る将来世代にとって頭の痛い、貧乏を生み出してしまう問題と言える。

 思えば経済成長のことばかり考え、一億総出で物質的な豊かさばかり求めてき
たこと自体根本的な間違えであったとも言える。日本が豊かになりえたのは、反
共産主義の防波堤という地政学的な要因が大きかったわけだが、とにかくこの50年お金のことばかり考えてきた。その結果、貧困や貧しさは忘れ去られてしまったかのようなのだ。   
 今回の小特集「現代の貧困ムワタシの貧乏生活」が企画された発端にある官僚
の「日本で飢え死にした人はいない」という発言があったと聞いている。こうい
う方は天明や天保の飢饉で何万・何百万と亡くなった歴史を学ばれても都合良く
忘れるのだろう。日本でもつい百年前まで人々は絶えず飢えという恐怖と共に人
々は暮らしてきたのだ。
 
 飢えの記憶
 東アジアは潜在的飢餓地帯と言われる。食料が絶えず不足している北朝鮮の食
料自給率は6割。日本の自給率はさらに低い4割しかない。まだ人々が自給的な
暮らしを保っていた20世紀初頭、日本の人口は4600万(1905年)しか
なかった。現在の約3分の1だ。日本の農地はこの頃より減少している。1960年に600万haあった耕地面積は、現在440万ha。一方海外から輸入している食料を耕地面積に換算すると1200万ha。日本の胃袋は合計1600万haの農地によってまかなわれている。
 心配なのは、人々が様々な風土の中で紡いできた自給的な知恵が高齢化等、地
方の衰退で一斉に失われていっていることだ。かつての農民は不作のリスクに備
えて様々な工夫をこらしてきた。しかし近代に入って農業も市場経済の波に飲み
込まれ、売れる作物の栽培が奨励され、自給的な=飢えと闘う知恵は常に後退し
てきた。
 1993年の米の凶作も売れる米づくりを目指したことが一つの原因と言われ
ている。コシヒカリやササニシキなど美味しくて高く売れる米が重点的に栽培さ
れ、リスク分散がされていなかったのだ。昭和9年の東北大凶作でも、全滅した
のは、福坊主という品種が全滅したことが大きな原因だった。単一で画一的な品
種に頼ると、天候の変化により大きな打撃を受けがちなのだ。現代の日本の稲作
一つとってもヒカリ系だけで生産量の多くを占めているのが現状で、非常に不安
定な要因を抱えている。しかし近代以降、日本で飢える人がいなくなったという
意味では、さきほどの官僚の発言も正しいと言えば正しい。だがそこには根本的
な問題が忘れ去られているのだ。

 日本が白米を食べ出したのはいつから?
 「日本が白い米を食べ出したのは植民地を持ってからだ」と言われたのをどれ
ほどの“日本人”が知っているのだろう。白米を食べ出したのは、朝鮮を支配し強
制的に日本に移出(輸出)させた以降の話でわずか80年前のことだ。それまで
は、雑穀=五穀の思想ーアワがなければヒエを食べヒエがなければキビや麦を食
べてしのぐというものーを基礎に各地で様々な食の保存(加工)文化が継承され
ていた。
 日本では人は飢えなかったかもしれないが、隣国の韓国では、生産しても生産
しても日本に米を持って行かれるため、食べるものがなくなって飢える農民が激
増した。このことを朝鮮では「春窮」と呼ばれた。秋は収穫期で食べるものがあ
るけれど、それをだんだん食べ尽くしていって、春先には飢えてしまうという意
味だ。春窮農民の割合は小作農の約七割にも達し、特に朝鮮南部に多かった。
 糖業植民地と言われた台湾。大豆の利権を押さえる為に侵略した満州。今で言
えばプランテーション栽培=輸出用作物の奨励は、各地の人々の食料自給に大き
な影響を与えた。満州では現地の農民の土地を取り上げ、鉄砲を持ちながら、日
本の農民が作物を耕作していたのである。近代から敗戦時まで日本で飢えが起こ
らなかったのは、まさに植民地の人々が飢えていたからなのだ。
 
  世界の飢えと日本の食卓
 日本の食料輸入は戦後膨らみ続け、今や世界一の食料純輸入国になった。世界
人口の2%弱しか占めない日本の輸入額が世界の輸入額に占める割合の大きさは、
肉類で25%(世界一位)、大豆で10%(二位)、トウモロコシ20%(一
位)、小麦7%(一位)と枚挙にいとまがない。数字が大きいことは自慢でもな
んでもない。それだけ他国への依存度が高く、農産物の国際価格にいつも影響を
受ける不安定な状態を意味する。
 ここで再度考えたいのが1993年に日本が米の凶作に見舞われた年の出来事
だ。日本はアメリカやタイから緊急に米を輸入したが食味が合わないと言って、
特にタイ米にいたっては大量廃棄が起こった。ここまではみぢかにも聞かれた話
だと思うが続きがある。
米は実は自給的な要素が強く、世界で貿易されている(輸出、輸入されている)
量はそれほど大きくない。今まで輸入してなかった日本が大量に買い付けたしわ
寄せは、西アフリカにあるセネガルに及んだ。コメの国際価格が上昇し、セネガ
ル人が食べていた安いタイ米まで値上がりし、コメ不足が起こったのだ。
 輸入額が大きいという事は、世界の農産物の価格に影響を与えるということも
意味する。日本のようにまだ買うお金があればいいのだが、世界には、食料を輸
入に依存せざるをえない貧しい国がたくさんある。それらの国に取ってみれば、
日本はとても迷惑な存在なのだ。
 8億以上存在する世界の栄養不足人口のうち1・7億人は中国に集中している
が、その中国の農産物の最大の輸出先は“日本”だ。自国に飢える人がいる中で、
他国に食料を輸出することを飢餓輸出と呼ぶ。一部の人は中国の農民が儲かって
いるから、利益が中国の農民に行き渡っていのでは、と思われるかもしれない。
しかし歴史は繰り返すのだが、儲かるのは、一部の富俗層と日本の企業だけで、
貧しい人たちは構造的に貧しいままなのだ。

  日本の食卓は豊かなのか?ー大豆ショックの警鐘ー
 では世界中から食べ物が食卓に並ぶ日本の食卓は豊かなのかというと、どうも
そうは思えない。はるかかなたからやってくる食品には、高いストレスとエネル
ギーがかかってしまう。結果、農薬や保存料、添加物が使用される。様々なアレ
ルギーは、こうしたストレスが人体に蓄積して起こるとも言える。コンビニに弁
当を卸している下請け工場の社長は言う。「メーカー側が求めるのは、非常に厳
しい時間指定、そして基準以上の保存料なのです。」
 昔で言えば、一年に数度しか出なかったごちそうが毎日食卓に並ぶようになっ
た。しかし日本の通貨=円が強い間はよいが、これが下がると、輸入に頼り過ぎ
るということは、食べ物含めて全ての値段が上がるということである。日本にい
ると未来永劫食べ物は輸入できると錯覚してしまうかもしれないが、そんなこと
はありえない。
 なぜか日本の公教育では教えられない1973年の大豆ショックは、日本の人
たちに海外に食料を頼ることがいかに危険か警鐘したはずだった。当時日本は大
豆の九割をアメリカに頼っていたのだが、そのアメリカが日本への大豆禁輸措置
を取り、大豆の値段は高騰した。豆腐の値段が2〜3倍に値上がりしたという。
しかしその教訓は輸入元を分散させリスクを減らすという選択に向いてしまっ
た。大豆輸入先はブラジルへと二割シフトした、その結果起こっているのがアマ
ゾンの森林伐採による環境破壊だ。
  
  金持ち国日本の貧しさ
 輸入がストップしなくても、通貨が弱くなっていくと心配されるのは、社会的
弱者には食料が回らなくなる可能性だ。現在、規制改革=新自由主義を隠れ蓑に
様々な福祉やセーフティネット機能の切り捨てが起こっている。将来食料が不足
気味になっていった時に隅々まで食べ物が行き渡るとは到底考えられないのだ。
昔と違って助け合って生きるという関係もほとんどなくなっているし、そもそも
助けを求める術を知らない人々も増えている。今の構造では貧しい人たちから飢
えていくのだ。
 少子高齢化は、この国では人が生きられない、あるいは未来への食料不足の自
衛というものを意味しているのかもしれない。しかしいざ現代人が貧しくなって
いった時に、風土に根ざし紡がれてきた各地の様々な食生活の知恵がきっと役に
立つのだろう。その土地土地で生き抜くために受け継がれてきた飢えと闘う知恵
の経験は、現在の世界で飢える人々と共に生きるために記憶し共有するべき財産
ではないかと感じる。何よりも日本が自給的な食生活を始めていくことこそが、
世界の飢えをなくすための最短の道なのではないか、そんなことを考えながら、
個人的な話だが各地の漬物文化を残すための活動を始めている。
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# by kurodaira | 2006-07-28 19:24

    命の水のほとりへ〜水の流域循環を考えるために〜

グローバル化の弊害をウオッチする貴重なNPO”AMネット”ニュースレターに寄稿
会員募集中です!!
 http://www1m.mesh.ne.jp/~apec-ngo/

    命の水のほとりへ〜水の流域循環を考えるために〜
 淀川源流の一つ桂川上流に居を移して、ほぼ一年が経つ。山や水路から水を引き生活用に使う人々の暮らしとの出会い、岩盤を掘り抜いた農業用水路の共同掃除への参加等、都市部にいた頃よりは水について考える機会は増えた。しかし残念なのは、裏山からいくら溢れる水が流れていようと、蛇口から流れてくるのは、簡易水道から流れてくる、味のない、お金のかかる水だということだ。昨年京都市に吸収されたこの地域の水道施設は、合併の見返りとしてさらに味のない水を作り出す高速ろ過法を導入するらしい。
 日本中をくまなく歩き尽くした民俗学者で最近ブームになっている宮本常一は、“コーヒーを飲むようになって、日本の人々が常日頃飲む水の味を忘れた。家を訪ねた折よく見られた「水一杯いただけますか」という光景が最近見られなくなった”と言っている。さらに江戸時代には、AMネットにもゆかりがある淀川の水(今は見る影もないが)がブランド力を持ち、販売されていたという記録についても触れている。
 多くの都市部の人にとって河川は、たとえ生活用水に活用されていようと、三面セメントを張られた水の流れにしか見えないのが現状だ。大阪の街を裏面から徹底的に生きた平井正治さんはこう証言する。“道路建設に関わってきた偉い役人さんが引退の挨拶で言ったんや。「在任中行った工事で後悔してもしきれない事は、大阪市内の川を高速道路等で覆い尽くし、暗い、どぶ川にしてしまったことです」って。祝いの席での発言に周囲は驚いたということや”現場からも後悔の声が発せられるほど、大阪にとどまらず今や日本中の川は表情のない風景の一部になった。こうしたクニでは、たとえば蛇口の水から世界の水問題を考えるなどということは、とても難しいと言えるのかもしれない。

 日本が高度経済成長という名の元、富を追求し続け、半世紀余り立った。NGOや市民活動の中では、Water for life—命の水、バーチャル・ウオーター等よく主張されるが、命はぐくむ水からかけ離れたわたしたち生活意識とのギャップをどう埋めていくかも大きな問題だと最近感じる。
 経済成長のひずみを、人間の根本的な存在から照射した、石牟礼道子さんがこの問いの答えへの導きの糸を紡いでいる。日本窒素・熊本工場周辺で起きた水俣病を、自然の美しさの中で培われてきた人間の営みから批判し、描ききった「苦海浄土」を書かれた方だ。
 その冒頭は、今はセメント囲いているが、かつて村の人々の命の水として愛されてきた一つの井戸から始められている。豊かな水量を持ち、村の暮らしにうるおいを与えてきたこの井戸は、土地の名を冠して猿郷の井川と呼ばれた。水道が引かれるまで、飲み水はもちろん、水仕事の一切、田畑の水として使用されてきた。
 猿郷の井川の水は、下流の洗濯川と異なり、位の高い川と言われ、洗い場には、箒ではき清めるお婆さんがいたということだった。井川を汚さぬように洗っておいでと母に言われ、子どもながらも身を慎んでゆく気持ちであった、と石牟礼さんは述懐している。名水ということが知られ、戦時期には、出征兵士が末期に故郷の水を飲みたいと現れるようになった。それは水というものが、その土地のいちばんの命の源であるだけでなく、生と死双方につながると思われていたからだと言う。
 今は涸れてしまったこの井川は、わたしたちの水への想いそのままと言えるかもしれない。地球温暖化、相次ぐ天候不順、世界中に水の神々の荒々しいコエがこだましている。農林業の不信から私の近辺でも河川や水路の荒廃が目立つようになった。恐らくこれまで築かれてきた多くの循環体系はこのクニから消失していくだろう。しかしそれをまた再生していくのも人間の営みの中から生まれていくのだ、とダムと闘った四国の婆様が言っていた。今後もお水の集いに関わりながら、この営みのための希望のかけらを集めていきたい、そう思っている。
(AMネット機関誌LIM掲載記事)
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# by kurodaira | 2006-04-16 21:32